烈日の暴君で砂漠の王のセトくんなんですけど、
時間を止めてラー(太陽)と其れに連なるトトその他御一行の居ない世界を手に入れる、までが真珠島本編の復讐の概要なわけですよ
それで烈日の暴君で砂漠の王のセトくんのお話をしたいのですけれども、
セトくんのその苛烈な側面を"烈日"と形容しているのも、エジプト(黒い地)と対比される砂漠(赤い地)の王とされているのも、何より偉大なる強さと称されるのも
そもそもナイルの恵みがない砂漠がとても人が住めたものではないほど苛烈な環境であったことの裏返しです。
で、何が苛烈かと言うとまー砂漠に照りつける太陽とその熱が何よりも人々を苦しめるわけです。
実際は砂嵐とかもあるんですが、だからこそ砂漠を行き交うキャラバンの神という側面ももち神格化することで道行きの安寧を祈っていたのだと思います。
本題に入りたいのですけども、太陽の無いセトくんってなんなんでしょうね?
私達は面白エジプト偉大な強さ四肢バラバラ烈日の暴君のセトくんを知っていますけれども
果たして太陽のない世界のセトくんはどうなるんでしょう。
砂漠の苛烈なイメージと言えば、間違いなく昼間の太陽が登り気温が40度を超す砂漠が大半を締めているはずです。
対して夜の砂漠といえば環境によっては氷点下を割るほどの極寒に成りうるのですが…
烈日の暴君から太陽を引いたら本当に暴君だけが残るのでしょうか。
答えはNOです。
そもそも暴君とは、虐げられる他者が居なければ暴君ではないのです。
まず時間停止した夜のエジプトに人間はいません。(居たらエジプト現地人強すぎる)
復讐したいほどに憎い相手もいません、そもそもそういう復讐です。
一体セトくんの復讐の果てに何が残るのでしょう。
オシリス神再評価以降の怒り、砂漠、太陽、キャラバンの神としての側面はまず失い
オシリス神再評価以前の偉大なる強さの神としての英雄的側面も、他者が居なければ成立しない側面でもあります。
時間停止した夜のエジプトにあるのは、誰も居ない無人の死の大地だけなのです。
あーひとりぼっちのセトくんかわいいなほんま地球人口数回分余裕で滅ぼせるわ。
魔理沙5面でもセトくんは復讐の手段もその後もどうでも良い、と半ば自暴自棄なところがあるんですが
本当に何も残らないのほんまええなって思う。
古代エジプト人の思想として、相反する2つのものが揃って始めて力を発揮するみたいなそういうものがあります。
セトくんが太陽を自分の手で奪うと、そのままセトくん自身も何もかも失ってしまうの本当エモやな。
そんな、未来に何も続かないセトくんが本当に最高やなってわしは思うし、
未来を夢見て羽ばたいていこうとした珠烏ちゃんとの5面6面の対比がやべえなって最近ずっと思ってるんです。
後付の信仰で自己を歪に捻じ曲げられまくったセトくんには失う前の本来のアイデンティティなんてどこにも残って無くて
これから自己を確立していく無名異ちゃんがたどる道を逆向きに歩んでる故に何かと気が合ってたんやなってもーエモの塊肉じゃん。
セトくんのこと真面目に考えると悲しみに包まれるので次の怪文書はもっと狂気混ぜるね。