无現里怪奇事件簿1 ~ある教え子の物語(上)
Added 2020-04-10 15:27:34 +0000 UTC鬼の目にも涙との言葉があるが、目の前にいる鬼よりも悪魔よりも人の心がない人間には血も涙もない。
ひょんなことから弱みを握られ、やれ弾除けだ用心棒だアッシー君(って何だ……?)と酷使されてはや数ヶ月。
始めこそいかに魔の手から逃れようとあの手この手を尽くしたが、
卑怯にも僕の敬愛してやまないあのお方を人質に取られては尾を巻いておとなしくする他ない。
そう、思っていたのだが――――
「お前、クビ。明日から来なくていい」
最初にまず耳を疑った。
いつか八尾呂智様に膝枕して耳かきして差し上げるというささやかな夢のために持ち歩いていた耳かきを躊躇なく使い、念の為もう一度言ってもらった。
「いや、だから明日からお前は用済みだ」
次に目を疑った。いつの日か八尾呂智様に(以下省略)目薬で目をスッキリさせ、都でよく見えると話題のルーペで本物かどうかを確認した。
自分と左程変わらない背丈の人間。
何も知らずに外見だけで口を閉じ深窓のそばで微笑むだけならば天使のような可愛らしさが、まあ、八尾呂智様ほどではないがある、かも、しれ――いやない。
しかしその中身は重油の底よりもどす黒い腹黒悪魔。地震雷火事黒巫鳥……いや僕にとっては恐怖の序列は第一位だ。
間違いない、こんなのが二人も居てたまるか。本物だ。
「熱でもあるのか?」
最後に額に手を当ててもしや流行り病に罹っているのではないか? という結論に行き当たった。
「あるわけ無いだろう、医者の不養生……まあ医者の真似事をしているからには、
風邪など引いてはイメージ戦略に支障をきたすからな」
「いつもどおり冷たい……酒は? 呑まないんだったな……
素面なのか……? いやこれは夢なのか? そうか僕が夢を見ているんだ目が醒めたら僕は八尾呂智様の膝枕の上で」
「むしろ熱があるのはお前の方だな」
妄想をヒートアップさせていく自分をよそに、冷めた目で悪魔が見下してくる。やはり、本物だ。
「この国は面白い、この歳になってもまだ新しく学ぶことがあるとは思わなかった。
心清く美しく天使のような私は気づいたのさ。恐怖で奴隷を縛るより好意で勝手についてくる奴隷のほうが使い勝手がいい」
「……!?」
まさか……改心した!?
今まで人道的倫理観、遵法精神、あとせめて僕と八尾呂智様には優しくしてほしいと何度も説き続けた成果が、実を結んだのか!?
「そ、そうかそうか。それは良かった。いやあ、お前のような鬼畜生の外道を好む物好きも居るなんて无現里は広いな! あはは! じゃあ僕はこれで」
しかしこの期を逃すまい。今日でこの酷いブラック労働からはおさらばできる。
そそくさと尾を巻いてするするするっと帰路につこうとしたが、流石に引き止められた。
「まあ待て。話にはまだ続きがある。逃げるな。今日はまだ解放しない」
一日ぐらいちょろまかせないものかと欲張ったのは流石に良くなかったか。
とはいえいつになく上機嫌そうで(見れば眉間にはいつもある皺がない、目は死んだ魚の魚よりは輝いていた。好意を持たれたことが本当に嬉しかったのだろうな)、まあ9割5分妥協したらちょっと天使に見えるかも。と思ってしまったので
「へいっ!なんですかね親分! なんなりと! 今日で終わりならもう何でもやっちゃう!」
……と、答えたのが、今思えば運の尽きだった。
もし、過去をやり直せるのなら。僕はこの時、おとなしくついていくべきではなかった。
■
人里とは縁がないと思っていた。たとえ妖怪が珍しくない国だとしても、
やはり人間の群れに異形の怪物が馴染むことはないだろう。
鵐黒巫鳥――人里ではそれなりに人間の味方としての地位を築いている(そんなばかな)――と共に行動するとはいえ、自分に向けられる視線は、少し、棘がある。
最も、目を向けられないよりはマシだ。
その様子に感づいてか、あるいはいつもそうしているのかはわからないが、
黒巫鳥は人通りの少ない裏路地を歩き、そこそこ大きめのボロ屋の勝手口に手をかけた。
特に声をかける素振りもなく、炊事場から土足で乗り込んでいく様はまさに我気高き館の主なりといったところ。
もうすこし尾の本数が多ければ床を踏み抜いていたかもしれないな……などと考えつつ、静かに廊下を進んでいくと障子の向こうがぼんやりと明るんでいた。
人影はこちらに気がついたのだろう、少しばかり障子を開き、その隙間からこちらを伺うと声を震わせて尋ねてきた。
「鵐先生……? あの、そちらの方は……?」
えっ、先生!? この、反面教師にするにしてももっとマシな人材がいるような人間が!?
「私の助手だ。別に見境なくヒトを取って食ったりはしない、
見目麗しき5歳未満の稚児でもない限り」
「いや勝手に人食い妖怪みたいに紹介するな! それにお前間接的に見目麗しくないとか最低だな! しかも5歳未満って限定するな……! 風評被害だ……!」
食って掛かるように訂正をする。これだからこいつは嫌いなんだ。
「とても仲が良いのですね、素敵です」
上品な笑い声のような、咳のような音が向こうから聞こえる。
……嫌な予感が当たりそうな気がする。
具体的には、そう、恐怖ではなく善意で絡め取られそうな予兆というか予感というか。
「どうぞお入りください、ええと、その、なにもないところですけれど……」
そしてそれは確信に変わる。
寝間着姿のか細い人間、椅子にかかるツギハギの毛布、机の上に広がるペンと紙と、瓶詰めの薬。
つまり、鵐黒巫鳥という人間は僕に自己犠牲という好意の首輪をつけようとしているのだ。
「最低だなお前」
「何のことだか? 私は素敵で素晴らしい医者で教師で先生だぞ。
紹介しよう、こいつは麦播。重い結核を患っていたが私のおかげで歩けるぐらいにはなった」
「はじめまして、麦播蘭と申します。ええと、鵐先生に文筆を習っていて、ゆくゆくは童話作家になれればなぁと……
鵐先生はとても優しくて、それで、お金は本が売れてからで良いと。
とても素敵ですよね……! 私も先生みたいな素敵な大人になりたいです!」
麦播の視線は熱を帯びている。それは単に、敬愛という二文字では表せないものだ。
まるで、八尾呂智様に振り向いてほしかった頃の自分のような……。
だというのに、
この眼の前に居る天使モドキは、最初から最後まで金しか見ていない。
麦播を治療したのはそれが人里では良い売名行為となるからで、
懇意にしているのは麦播の才能が金になるからだろう。
喉の奥が焼けるほど苦しい。
目の前に居るのは過去の自分で、その自分を目の前にいる悪魔は――首元にナイフを突き立てて嘲り笑っているようにしか見えなかった。
その日のことは、もう覚えていない。
漠然と相打ちを打っていたのだと思う。
結局自分は何かを為すことも変えることもできない存在なのだと無力さを感じたかもしれない。
一つわかるのは、その日から長い間黒巫鳥と顔を合わせることはなかった。
いつもどおり、自分の目の先には八尾呂智様がいる。
なんてことはない。
生まれたときからそうしていたのだから、それ以外を求めるのは欲張りすぎたというだけ。
罰があたったのだ。
けれどどこか、胸の底には羨望があって、
それを吐き出すことが決してできないほどに、嫉妬していた。
■
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言ったものだ。
あんなことがあっても……いやあれからどれだけ経ったのだろう?
またこうして、黒巫鳥と他愛のない会話をするまでに関係は戻ったらしい。
もっとも、自分にその自覚はない。毎日呆然と八尾呂智様を背後からお守りしていただけだ。
どうやら八尾呂智様は何者かに悪質なストーキング行為をされているらしく、尚の事警備体制を強化しなければ! と寝る間も惜しみ見守っていたのだが、
相手は一枚上手のようでいまだしっぽを掴めていない。とんだネズミ野郎め、許しておけないぞ……!
……っと、また自分の世界に浸りかけてしまった。昔、誰かに悪い癖だと言われたことがある。
最近はこういうことが多くなってきた。良くない傾向だ。現実の八尾呂智様と理想の八尾呂智様の区別がつかなくなってしまう。
しかし黒巫鳥と話すことなんてなにもないな。あんまり興味ないし……八尾呂智様のことは話したくないし……などと思案していてふと思い出した。
黒巫鳥は新しいどれ、もとい助手と称して病人を連れ回しているはずだが、どうもその姿を見かけない。
「そういえば……あのヒトの趣味が驚くほどに最悪なやつはどうした? 愛想つかされて逃げられたのか?」
あの熱っぽい視線は大したことでは冷めないとは思うが……そうでなければ事故か、寿命か。
「前も言った」
眉間に皺を寄せて不機嫌そうになっている。なぜだか、そういう姿を見るのも久しく感じる。
「1月の上旬のことだ。人妖問わずの失踪事件が相次いでいた。おそらくそれだろう。
私が手塩にかけて育てた飼い犬は忽然と消え、私が将来得るべき利益も消えた」
「自業自得って知ってるか? 因果応報でもいい、金しか見てない奴は金に泣く」
「全くだ」
噛みつき返しても歯ごたえがない。どうしてだろう、違和感がある。
「――人里で生きていくと決めた時、地位と名声が必要だった。うちには放っておけない家族がいた」
ぽつり、と雨が降ってきた。
近頃の天気はどうも良くない。突然の雨に驚いたのか、八尾呂智様はわたわたと木陰を探している。傘を持っていってあげないと。
「里は教育の質が低かった。識字率は特に低い、貧しい家では口語しか伝わっていない。
文字を読めたのはせいぜいが長寿者、それか都から訳有で逃げてきたハグレ者だった」
そりゃ何より、文字がない国じゃなくてよかったな。
外の世界では研究者? をやっていたんだっけ。当然のようにあるものがない世界に放り込まれるというのはどんなに苦痛だろう。
八尾呂智様の居ない世界なんて有り得ない。
「あいつは、誰のものでもない物語を空で紡いでいた。
それ以外の何にも、健康な体にも、環境にも恵まれなかった哀れな鳥には、それしか才がなかった。
――私は、利用できると確信した」
「名声のために、家族のために? 良いことじゃないか。
僕だって八尾呂智様のためなら何だってする。アイツは運が悪かっただけだ」
弱いものは強いものの糧となり死ぬ。当然の理だろう。
遠雷が鳴り響く。八尾呂智様はしっぽをぐるぐる縮めてうずくまっている。寄り添ってあげないと……。
「だというのに、あいつが羽ばたくさまを見たいと願ってしまった。
手を差し伸べなければ、あいつは人知れず病に伏せて死んでいたのだと言い訳を続けながら。
そうして、鳥は羽ばたき、籠の外に耐えられず死んだ。
考えてみれば当然の帰結だろう。ひどい、先生だ」
まるで巣から転げ落ちた小鳥を見下ろす気分だった。
目の前に居る人間はあまりにも小さくて、傷まみれで、弱い。
それが覆いかぶさっている下には、小鳥がいなければ無自覚に踏み潰していただろう花が枯れていた。
誰かに踏まれたわけでもなく、たぶんそれは、自分で生きる力がなかったのだろう。
■
人里に再び足を踏み入れても、視線は変わらない。
かつて一度だけ通った裏道を、記憶を頼りにぼんやりと。
あかりをさがして彷徨うように歩いていた。
住民を失ったボロ屋はさらに寂れ、もはやいつ倒壊するのか不安にさせてくれる。
不安を感じないより、ずっとマシだ。生きているという実感が得られるから。
勝手口は何度も開かれたのか、立て付けが悪く閉まりきらない。
物取りに入るぐらいなら、はすむかいの小綺麗な家に入るだろう。こんなところから入る人間なんて一人しか知らない。
廊下はあちこちに穴が合いている。板のささくれには、どこかで見たような布切れが引っかかっている。
落ちればひとたまりもない。足にも、抜け出す時にも手に傷が残るだろう。先客はどうやらかなりぼんやりしていたらしい。
障子の向こうは暗く、誰もこちらを覗き見ない。
埃っぽい寝室を開くと、やけに綺麗に整理されていた。
最初から誰も住んでいなかったかのようだ。
だが、床の埃をみれば誰かが歩き回ったことが見て取れる。
棚をあけ、布団を一度ひっくり返し、机の上には……特に原稿の跡などはないから始めから無かったのか?
この様子では、手がかりになるものは何もなかったのだろう。
なにか見落としがあるのでは、と来てみたがこの調子だとなさそうだ。
まあ、嫌というほど理解してしまったことが一つ。
少なくとも、名誉欲だけに溺れた人間は立て付けの悪い勝手口から入ったりせず、堂々と表から会いに行くだろうに。
あの教え子の前では、本当にいい先生だったのだ。
「あの~、もしも~し? 私、神隠し事件について調べているのですけれど……
あっ申し遅れました! はい、无現里地域新聞社所属、深山薪という者です。はい。
……えっと、あの、どうなされましたか? 私の顔に、なにか?」
音もなく、背後に立っていたその顔は、どこかで見たような覚えがある。
「ぼんやりしていらっしゃいますね。熱は……ないですね。
最近は物騒です、春は疫病神も活発になる頃ですから……おっとすみません。
私ばかりおしゃべりしてしまって……自分の世界に浸りすぎるのは悪い癖、ですね!」
なぜ、思い出せないのだろう。
「そうだ、この記事って私のデビュー作? なんですよ~
よかったら読んで感想を聞かせてくださいね。はい! それではまたお会いしましょう」
すこし強引に新聞記事の切り抜きを押し付けられ、記者を名乗る不審者は露のように消えた。
つづく。
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連縁二次創作フェイクニュース風テキストサイト・无現里地域新聞はじめました
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◇作中当該記事◇
近頃の若者の牌離れ 有識者「遺憾の意」
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