※本作では競馬の綺麗事ではない暗部にかなり踏み込みます ※最終ページに予想と観戦マナーにも役立つ元ネタ解説があります ※独自解釈に基づき、ウイニングライブでは勝手気ままに歌わせます ※テレビも馬もスポンサーの物なんですよね Part.1 余り者は勝負服の夢を見るか 「おい、次はマル抽レースか」 「貧乏娘のサバイバルだな」 「わかんねえぞ。たまに凄いのが出るからな」 「どうだかねえ。所詮は余り者だ」 残暑も厳しい土曜日の中京レース場、それも午前中とあって客足はまばらで、客の話し声がパドックの裏まではっきりと聞こえてくる。 パドックに集まったウマ娘は5人。そして、面白い事に全員がよく見知った仲だ。 「余り者ですって」 「まあ、その通りだよね」 「数合わせでしょ」 彼女達はこれからデビュー戦に臨もうというのに、どこか冷めた表情を覗かせていた。 トレセン学園に入るには素質と幸運と金が要る。試験は厳しく、学費も高く、ウマ娘と生まれて入学できるのは数割。その大半は1勝もできずに卒業を待たず去って行く。 優秀なウマ娘を多く出している名門の生まれならコネで入れる。素質を見込まれればスポンサーが学費を出してくれることもある。 そうした後ろ盾のないウマ娘は、レースに出たいと思ってもままならない。ローカルトレセンにも入れずに終わるウマ娘がどれ程居るか、多くのファンは恐くて数えてもみない。 だが、贅沢な選り好みをする割に学園の試験というのはアテにならない。走るはずのウマ娘が走らず、走らないはずのウマ娘が走る。レースはそういう物だ。 URAも内心ではそれを分かっていて、入学先の決まらないウマ娘から見込みのありそうなウマ娘を年に何十人か見繕い、学費を免除して入学させる。 彼女達はくじ引きで教官が決まり、プログラムの名前の頭に〇に抽という印が入る。それで抽せんウマ娘とか、マル抽と呼ばれる。 「URAの気まぐれでもこうして学園に入れたんだ。チャンスをモノにしてやろうじゃん」 仲間達にそう言って、その溌溂としたウマ娘はパドックに出た。 「2番、イソノルーブル」 中央に大きな白いメッシュの入った鹿毛をお下げにして、左耳に赤いリボンを結んだそのウマ娘は、自分を値踏みするファンを鋭い目つきで睨み付けた。 「ソ連と違ってアタシは潰れねえ」 小柄だが見るからに気の強そうな、走る予感を漂わせるルーブルはブラックジョークを残してパドックから引っ込んだ。 1990年9月8日。ソビエト連邦が崩壊しつつあるまさにその時、因果なウマ娘がデビューを迎えた。 Part.2 革命記念日 ルーブルの母親は横浜のスナックで働く夜の女で、ロシア人船員の子を身に宿した。それがルーブルだったわけだ。ルーブルは父の顔を知らない。 港の女が外国船員と恋に落ちたという字面は美しいが、ルーブルは甲斐性の無い異国の船乗りと夜の女の間に、それもウマ娘として生まれてしまった不幸を呪った。 ルーブルは父無し子として、夜の女の子供として、混血児として、異質なウマ娘として、その出自から考えられるあらゆる辛酸を嘗めた。 そういうウマ娘が身を立てようと思えばレースに身を投じるのが一番手っ取り早い。だが、それにも相応の手間と元手が必要で、歳を取る程に稼ぎの悪くなるルーブルの母にそんな余裕はとてもない。 ほったらかしにされたルーブルは当然の帰結として手の付けられない悪ガキになった。自分を侮辱した相手は暴力で黙らせる。年端のいかない少女がそんな生き方をしなければいけない現実が更なる暴力にルーブルを駆り立てた。 有望なウマ娘は早々に入るトレセンが決まるが、何の伝手もないルーブルは試験に落ちて引き受け先がなかった。URAがマル抽として引き受けると聞いた時、彼女を知る誰もがまさかと思った。 だが、ルーブルはしめたと思った。力で道を切り開いて来た彼女は、勝負の世界で生きていく自信があったのだ。 マル抽のウマ娘達はURAの予備校へ送られて予備教育を受ける。予備校でもルーブルは悪ガキぶりを発揮し、教官の手を焼かせた。 分校のウマ娘達は大なり小なり心に影があった。正規の試験に受からない。と言ってあまり田舎のトレセンにも行きたくない。それでマル抽というチャンスにすがったのだ。 「私達はお情けで入れてもらった数合わせ。負ければポイで、勝ち過ぎてもポイ」 いささか風紀の悪い寮の食堂で、母親もマル抽だったというあるウマ娘が自分達に待ち受ける宿命を皮肉めいて語った。 「それ、どういう意味さ?」 幾度かの喧嘩も経てボス格に収まったルーブルは、彼女の言う「勝ち過ぎても」という言葉の真意が理解できない。 「だってさ。私達は試験に通らなかったのに、それがあんまり勝ったらURAの面子が立たないでしょ」 教官やトレーナーは学園での仕事の合間に各地でウマ娘をスカウトして回る。そのスカウト網から漏れたマル抽が勝つのは彼らの面目が潰れると言えなくもない。 「だけどさ、マル抽でGI勝ったウマ娘だって居るじゃん」 ルーブルは食堂に飾ってあるマル抽の大先輩達の写真を指さした。白黒写真の彼女達は、後ろ暗い過去など無かったように栄光を噛みしめて笑っていっる。 「この中には居ないけど、タカツバキって先輩がハメられた」 「ハメられた?」 「マル抽なのにダービーで1番人気になったもんだから、他のウマ娘やトレーナーが寄ってたかって転ばせたんだよ」 彼女の言う事は陰謀論とか怪談の類かもしれないが、タカツバキという先輩がそうしてダービーで不本意な敗北を喫して物議をかもしたのは事実だった。 「お高く留まった連中がやりそうなこった」 ルーブルはテーブルを叩いて笑った。良く言えば闘争心豊富、悪く言えば捻くれたルーブルは、その話を怖がるどころか面白がった。 「だったら、潰せない場所を走ればいいじゃん」 そうしてルーブルはいつも先頭を走るようになった。それはタカツバキの亡霊をあざ笑うようだったが、もとよりルーブルは他人の後ろに居られる性分ではなかった。 そうして少しやさぐれた彼女達はデビュー戦を迎えた。マル抽は軽く見られる代わりに少し優遇されていて、マル抽同士で条件戦を戦う。なので勝ち上がるのは少し容易だが、注目はされない。 ルーブルはそれで構わなかった。デビュー戦から注目されるウマ娘でない事は自分が一番よく知っている。むしろ楽な相手とやれるのは幸運だと思っていた。 「アタシのデビュー戦を見逃した連中を後悔させてやる」 そう言い残してルーブルはゲートを飛び出した。そこまでは良かったのだが、スタートで躓いた。1番人気に推されたルーブルのミスに、迷信深いファンはソ連と同じ運命を見た。 だが、逃げというスタイルを放棄する事を余儀なくされてもルーブルは落ち着いていた。互いの実力はよく知っている。そして、ルーブルは抜きん出ている。 たった1000メートル。時間にして1分とかからない勝負だ。ルーブルは2番手でコーナーに入り、直線で一気に勝負に出た。 逃げた同期が必死に食い下がる。しかしルーブルは容赦なく、鋭く、半バ身突き放してゴールした。 「見やがれ!」 ルーブルは確定板を指さし、スタンド目がけて叫んだ。そこには「レコード」という赤文字が表示された。 ルーブルはマル抽であり、おまけにスタートをしくじったというのにレコードタイムを出したのだ。場内は騒然となった。 「アタシは革命を起こす!」 ウイニングライブでルーブルはそう宣言し、あろうことか『インターナショナル』を高唱した。どこまでも反抗的で、どこまでも可能性を秘めたルーブルだが、実は足を引きずっていた。 Part.3 失う物はない 小柄な身体に秘められた爆発的なスピードと引き換えに、ルーブルには常に脚部不安が付いて回った。 入学早々に屈腱炎になり、ずっとトレーニング不足だった。なのにデビュー戦でレコード勝ちというのがルーブルの底知れないポテンシャルを示していた。 そして劇的なデビュー戦の代償に骨膜炎を起こし、ルーブルはトレーニングをほとんどせずにぶらぶらと過ごすようになった。勉強はもっとしない。従ってとんだ不良娘となった。 「ウマ娘なんて末路悲惨が通り相場じゃん。勉強なんて何の意味があるのさ?」 アナーキーにそう言って憚らないルーブルの2戦目は、晩秋に行われたマル抽限定の特別レースになった。 ルーブルは故障を不安視されて5番人気に落ちたが、蓋を開ければ3バ身半の差を付ける完璧な逃げ切り勝ち。ルーブルはまたも周囲の予想を上回った。 「ざまあ見ろ!」 ウイニングライブで文字通りファンを嘲笑ったルーブルは、脇に並んだマル抽仲間と肩を組んで『インターナショナル』を完璧なコーラスで歌って関係者を唖然とさせた。今やルーブルはマル抽でありながらスターの仲間入りを果たそうとしていた。 だが、ファンも関係者もまだルーブルの実力に疑いを持っていた。故障持ちのマル抽という肩書はどこまでもルーブルに付いて回った。 シーズンの締めくくりにして重賞初挑戦に選んだのはラジオたんぱ杯だったが、8番人気という評価はファンのそうした迷いを示していた。 「マル抽の印ってのはそんなに重たい飾りなのかねえ。1番人気、あんたどう思う?」 ルーブルはファンが自分の力を測りかねているのを面白がり、パドックに出て行こうとする1番人気のミルフォードスルーに絡んだ。 「どうて言われても…」 右に飛び出たサイドテールを白いリボンで結んだ大柄なミルフォードスルーは、ろくに会話した覚えの無いルーブルの言葉に当惑した。 「重たいのは得意でしょ。そんなデカい物ぶら下げて」 「何を言わはるの!?」 スルーは思わず顔を赤らめた。スルーは体格とスタイルが抜群に良く、また見栄えの良い栗毛なので実力とはまた別種の人気があった。今までの4戦で1番人気に推される事3回。唯一1番人気を譲った函館で重賞を勝ち取っている。 「どうしてマル抽はそう柄が悪いわけ?」 スルーがルーブルの嫌がらせから逃げるようにパドックに出て行くと、これまた栗毛のウマ娘がルーブルの行動を窘めた。 「同じ『アカ』なのに随分じゃん」 ルーブルは栗東寮のリーダー格であるスカーレットリボンの警告に真面目に耳を貸そうとしない。 「あんた、正直言って評判悪いよ」 青と黄色のゴムで栗毛のツインテールを結び、均整美を漂わせる身体つきのブーケは、気は強いがマル抽とは真逆のエリートだ。 彼女の親戚が出ていないGIはこの何年もないという名門の生まれで、姉も重賞を勝っている。一族の期待を一身に受けて、その期待通りにもう重賞ウィナーになっている。 トレーナーもブーケには学園で一番優秀な人物が付いたが、ルーブルのトレーナーは長く重賞から遠ざかっている。とどのつまり、2人は見えている世界が違った。 「あんたの家、人数は多いけどGIは勝てないって評判だよ」 ルーブルは自分が良く思われていないの知っていて、失う物が無い。一方ブーケは名門のプライドと責任があり、このレース界で囁かれる陰口が非常に効いた。 「そう言うあんたは、マル抽なのにGI勝つ気?」 「あんたと違って負けた事ないから」 「今日はどうだかね」 呆れてブーケも行ってしまった。だが、不思議とルーブルは自分が負ける姿がイメージできなかった。 母やトレーナーに恩返しなどという殊勝な事を考えるにはルーブルは子供過ぎた。エリート達に嫉妬や怒りを感じないではないが、彼女達に直接の遺恨があるわけではない。 ルーブルは闘争心だけで動いていた。この嫌がらせのようなやり取りも、ひとえに勝利の為だ。 こうした勢いが勝負事の結果を左右してしまうのを、ルーブルは数えきれない喧嘩の末に知り抜いていた。その結果は間もなく出る。ルーブルは闘争のスリルにぞくぞくとしながらゲートに入って行った。 元ネタ解説 Part.1 ローカルトレセンにも入れずに終わる: 日本で生産されるサラブレッドの実に数割は売れ残ってデビューできずに終わる。そういう馬がどうなるかは想像通りである。 走るはずのウマ娘が走らず: セリ市の高額落札記録を更新するような馬は不思議なほど走らない。また、何も知らない新人馬主に欠陥のある馬を高く売りつける悪徳商法もまま見られる。 抽せん馬: あまり売れそうにない馬をJRAがセリ市で一括で買い上げ、日高と宮崎の育成牧場で訓練して馬主に安く馬主に販売する制度。 マル抽限定の条件戦があり、中央でのデビューは保証される事から中小馬主には人気があり、年に1頭程度重賞を勝てる馬が出た。 2003年からは優遇措置がなくなり、育成馬と名前も変わった。地方競馬でも馬主会や主催者によって抽せん馬の購入と配布が行われる事がある。 ソ連と違って: イソノルーブルのデビューする直前にソビエト連邦の崩壊が始まり、カルトな話題を呼んだ。 Part.2 ロシア人船員: イソノルーブルの父ラシアンルーブルは競走成績は平凡ながらニジンスキー産駒で、母の父、母の母の父まで一緒のマルゼンスキーの代用種牡馬として一定の人気があった。 ニジンスキーはロシアの伝説的バレエダンサーに由来する名前であり、ロシアと直接の関係は無いが非常にロシア的な名前と言える。 何の伝手もない: イソノルーブルを生産した能登牧場は小さな家族経営の牧場で、血統も馬体も特筆する物ではないイソノルーブルは売れ残った。 2歳の時にJRAが競り市でイソノルーブルを抽せん馬として購入したが、僅か500万円であった。 悪ガキぶり: イソノルーブルは気性難で、騎手を振り落とすこともしばしばという荒馬であった。 あまり田舎のトレセンにも行きたくない: 一般に生産者は活躍の可能性を度外視して地方競馬より中央競馬に馬を預けたがる。 これはJRAがかなり手厚い生産者賞を出しているからで、中央で馬が入着すれば生産牧場にも少なくない金額が支払われる。 牧場にしてみれば安くてもJRAに抽せん馬として買い上げられるのはチャンスと言える。 数合わせ: 抽せん馬は弱小牧場の保護と同時に出走頭数の確保という側面があり、不況時には馬主は抽せん馬の購入を半ば強要される。 各地でウマ娘をスカウト: 牧場を回って馬主の為に適当な馬を探すのも調教師の仕事である。ただ、近年は大手牧場や馬主の力が強くなり、形骸化しつつある。 面子が立たない: 抽せん馬が勝つと高価な馬が売れなくなるという考えは古くから存在する。 タカツバキ: 1966年生まれの牡馬。抽せん馬ながら皐月賞で3着に入りダービーで1番人気に推されるも、スタート直後に馬群に揉まれて落馬した。 抽せん馬がダービー馬になると困るので、関係者が共謀して落馬させたという噂がまことしやかにささやかれた。 他人の後ろに居られる性分では: イソノルーブルは縦一列に並んでの調教で前の馬を追い越してしまうような天性の逃げ馬だった。 ソ連と同じ運命: 90年代初頭は所謂サイン馬券が流行した時期で、イソノルーブルは常にソビエト情勢と結び付けられて注目を浴びていた。 インターナショナル: 共産党の党歌であり、ソ連国歌。 Part.3 ミルフォードスルー: 88年生まれの牝馬で「五強」とされた素質馬の一頭。500キロを超える大型馬で、牡馬に当たり負けしないパワーを武器とした。 馬主の則武清司氏は京都馬主会の会長なので京言葉に。髪型は白いメンコと右両脚の白から。 見栄えの良い栗毛: イソノルーブル以外の五強は皆栗毛で見栄えが良く、鹿毛で小柄なイソノルーブルはある意味で目立った。 スカーレットブーケ: 五強の一角でありダイワスカーレットの母。五強で繁殖成績は一番。 ダイワスカーレットより小柄だが筋肉質で、青に黄色の縁取りのメンコを愛用していた。 姉も重賞: スカーレットブーケの全姉スカーレットリボンも重賞を勝っている。 繁殖成績はいまいちだったが、やしきたかじんが産駒を購入したというので話題になった。 GIは勝てないって評判: スカーレットブーケは社台ファーム生産のノーザンテースト産駒である。 ノーザンテーストは10回もリーディングサイアーになったが、その割にGIタイトルが少ないという評判が当時からあった。 産駒の平地GI優勝は10回、障害を入れても12回に過ぎず、まだ社台一強の構図は完成していなかった。