私立百合清波学園の大浴場は大きい。
お嬢様学校の名に恥じず金ぴかで豪華絢爛、というイメージを抱きがちだが、それとは無縁の、むしろ質素と言ってもよい構えをしている。
だがその内装は古風で優美に整えられ、柱では姿の異なる螺鈿細工の鳥たちが羽を休めている。着飾るまでもない、そんな余裕が調度品から透けて見えた。
大浴場の中で最も大きな浴槽につかりながら、長宝院向日葵は天井を眺めていた。
ワイワイと騒ぐ生徒たちに、決して穏やかでない感情を抱きながら。
(なっていませんわ…風呂というのは本来気分を落ち着け己を見つめ直す空間だというのに…)
目をつぶってどうにか煩わしい音を遮断しようとする。暖かいお湯が体を温め、定期考査学年一位の脳がするすると周り始めた時だった。
大浴場が分かりやすいほどにざわめいた。初めは誰かが転んだのかと思ったが、その雑音は一瞬では収まらず、音量のツマミをひねるように段々と大きくなってゆく。
湯船でお湯が撹拌される音、誰かが体を洗うシャワーの音、そして掛湯の音。それら大浴場にありふれた音の全てが掻き消えた。
さすがに五月蝿すぎる。
(いい加減に…!)
いい加減になさい!
そう叫ぼうと洗い場を見た瞬間、ギョッとした。
ほのかに青みがかった髪の毛と白いうなじ、周りでざわめく有象無象から目を逸らすと、彼女に目が囚われた。
(百合子様…)
しっかり者の寮長で、成績はもちろん常にトップ。
容姿端麗で、向日葵のあこがれの人。
神宮寺百合子がざわめきの中心にいた。
向日葵はぐっと奥歯を噛んだ。
(離れなさいよ…!)
百合子様の隣にあなた達はふさわしくない。
周りを取り囲んでいる生徒たちに対しての言葉が、心の中で反響する。
百合子様は優しすぎるのだ。
いつも試験の後に教室でお仕置きされているドジで阿呆の西園寺桜にすら勉強を教えるほどに。
そもそも西園寺桜のせいでこの間も百合子様にお仕置きを…。
怒りの矛先が桜色の髪の毛をしたあいつに向かいかけたところで、さらに衝撃的なものが目に飛び込んできた。
百合子様のお尻に、いくつもの赤い筋が残っている。
その瞬間、心臓が止まるような錯覚を覚えて私は絶句した。
噂には聞いたことがある。
寮生が寮長にお仕置きされるだけでは収集のつかない過ちを犯した時、監督責任を果たさなかったという理由で寮長がお仕置きされることがあるのだとか。
そしてそのお仕置きは、百合子様がするような平手ではなくケインを使って行われるという。
(誰よ…っ!)
頭の中が一瞬で沸騰するようだった。
どこの誰が、寮長にあんなことをさせたのだ。
私の憧れの百合子様に。
ギリギリと自分の歯が鳴る感覚を覚えながら、向日葵は寮長を見る。
誰もがざわめき、すでに寮長を囲んでいる生徒たちの間では犯人探しが始まっているようだった。
だが多くの生徒から視線を送られているなど意に介さないように、百合子様はお尻を隠そうともせず、平然と身体を洗い始めた。シャワーの前に座るとき、顔をしかめることすらせずに。
全身を洗い終わると、寮長はお湯に入る。傷にしみて痛いはずなのに、表情一つ変えない。
そして。
「隣、失礼していいかしら」
「は、はい!もちろんです寮長!」
まさか自分の隣に来るとは思わなかったのだろう。向日葵は顔を赤くしながら答えた。
お湯による熱か、別の理由があるのかは本人しか知りえないが。
恥ずかしさで体がガチガチで動かない。ただ湯気に交じって流れてくる、シャンプーとはまた違う、甘い匂いに目眩がするようだった。
向日葵は餌をまかれた鯉のように口をぱくぱくとしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「だっ、だいじょうぶ、ですかっ!?」
まずあなたが大丈夫なのかと問いたくなるような声のトーンだったが、今の向日葵にはこれが限界だった。
向日葵の赤い顔を見て、寮長はふっと笑った。
「大丈夫よ。ありがとう」
その微笑みだけで、心臓を撃ち抜かれるかと思った。
「この間の件、もう痛くはない?」
「問題ないですっ!」
西園寺桜をお仕置きした時、私も百合子様にケインで打たれた。
自分のことを思い出した、向日葵の顔が恥ずかしさに染まる。
その時だった。
腰にタオルを巻き、おどおどしながら一人の生徒が大浴場に入ってきた。
恥ずかしがりやというわけでもないなら、そこまで隠す理由など一つしかない。
誰もが察した。もちろん向日葵も。
向日葵がその生徒を睨みつけたとき、百合子は声をかけながら浴槽から立ち上がった。
「あの子を責めてはいけませんよ」
ただ一言そう残して。
はっとして向日葵は寮長を見る。すると寮長は浴槽から上がり、腰をタオルで隠している生徒に近づいた。
生徒たちの誰もが固唾をのんで見守る。
沈黙を破ったのは、嗚咽だった。
「ご、めんなさい…ごめんなさいっ…寮長…」
力が抜けたのか、腰からタオルがはらりと落ちる。
案の定、お尻には平手打ちの赤い跡があった。
きっと百合子様にお仕置きされたものに違いない。向日葵がそう考えたとき。
「失敗して、そこから改めないのが失敗よ」
百合子様は、泣いている生徒に優しく声をかけた。
「もうしないわね?」
「っく…はいっ…!」
必死にひねり出したような返事に、百合子様は納得したように小さく笑った。
そして皆に聞こえるように、声のトーンを若干上げて言葉を続けた。
「誰でも間違いは犯すわ。でも、あなたには支えてくれる人がきっといる」
すると何かを言わんとするかのように、周りを見回す。
「責めるのではなくて、次に同じ失敗を誰もしないよう、支えてあげなさい」
犯人探しをしていた生徒たちが、ばつの悪そうな表情でうつむいた。
確かにそうかもしれない。向日葵は考えた。
いまだ思春期の自分たちが、一切失敗を犯さないなど不可能に近い。たまたま今回は誤ったのが自分でなかっただけで、自分だって失敗したら、誰かに助けてもらわなければいけないのだ。
明日は我が身。私たちは、他人の失敗を責められる立場だろうか。
西園寺桜を勝手にお仕置きした時の痛みが、ふとフラッシュバックした。
百合子様を見る。
自分は何も悪くないのに、お仕置きを受けて、その原因の子を許して、自分たちの立場をみんなに自覚させて、助け合うことまで諭す。
そこにいたのは間違いなく、向日葵が憧れたリーダーの姿だった。
寮長が浴槽から出た後、多くの者が泣いている生徒に近寄る。
だが、彼女を詰問する生徒は、誰一人としていなかった。
・・・
ちなみにこの日、向日葵はこの件で寮長のことを考えすぎるあまり浴場でのぼせ。
寮でもぼーっとして過ごし。
結果、規則通りの時間に部屋に戻らず寮長からお仕置きを頂くことになったのだが…。
それはまた、別の話。
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フォロワーのすいかさんがとても素敵な文を書いてくださいました…!
向日葵と百合子の性格がちゃんと出ていて、とても素晴らしいストーリーです…!
オリジナルイラスト https://www.fanbox.cc/@akaimomoi/posts/1515848